1:忙しいことと、実を結ぶことの違い
「お元気ですか?」との挨拶に、「忙しくしています」とお答えされる場合がよくあります。忙しいことは、悪いことではありませんが、とても重要視されることが多々あります。イエス様は、忙しくありなさい、とおっしゃったのではなく、私達が実を結ぶことを望んでおられるます。ヨハネの15章では、イエス様につながって生き、イエス様にとどまるなら、その自然な結果は、洗浄され、刈り込みをされ、イエス様が私達の内にとどまって下さり、実を結んでいく、ということが書かれています。
1-5節「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」
実を結ぶことは、弟子訓練がされていることの証拠です(ヨハネ15:8)。そのためには、大宣教命令にならって、神様との歩みの中で成長していくことの実践が必要です。健康な、熟した木というのは、質の良い実を結ぶものです。ですから、実を結ぶことを真剣にとらえるなら、「忙しさ」というものを切り落とす必要があるかもしれません。御言葉と祈りの中で、神様と定期的に深い交わりの時間を持つことに専念しましょう。そうするなら、実というのは、神様が自然に結ばせて下さるものなのです。
2:期待しすぎることの危険性
メンタリングを行う際、相手の成熟さを求めすぎている事があり、後悔したことがあります。何か推測するなら、人々が結婚生活における問題、純潔における悩み、恐れ、怒り、デボーションの確立に関する悩みなどを抱えているかもしれないことを覚えましょう。(霊的成長の)基盤を作っていくために、十分に注意を払いつつ、基礎的なことからはじめましょう。御言葉が生活の中で適応されるように、教え、祈り、優先順位を正しく持ち、信仰を分かち合い、主であるイエス様に従って行けるように勧めましょう。神様のご性質なども学びましょう。
一人の人生の中における霊的成長の基礎を建てあげるのは、時間がかかり、大変なことです。ですが、基盤つくりを怠れば、その人生は砕けてしまうかもしれません。(マタイ7:24-27) シンガポールのある建物が作られるとき、3年半をかけて、土台を作っていました。けれど、土台が仕上がると、あとは半年間で、すべての構築が終ったのです。人生の土台を作るときに大切な下記のステップを見てみましょう。相手が、真実を自分のものとし、また別の人へと伝達できるときに、あなたの仕事が終るということを覚えていて下さい。
・なぜ神様との関係が大切なのか伝える-動機付け
・どのように神と生きるのか示す-デモンストレーション
・相手がそのようにできるように手助けする-
・歩み続ける-忍耐
・伝達する-増殖
第一コリント3:10,11
「与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意をしなければなりません。どいうのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。」
3:メンタリング始める際、間違った人を選択する傾向
誰か助けたいと思うあまり、初めてメンタリングに興味を示した人に力を注ごうとするかもしれません。あなたのミニストリーの分野において、けが人をなおす病院のような場か、収穫のためにトレーニングを提供する施設のような場なのかを見極めなければいけません。どちらも大切ですが、それぞれの目的を間違えてはいけません。弱い人にはカウンセリングを、強い人にはコーチングを提供してください。
ある大学で、弟子訓練を提供できる女性が、大学生活に適応できずに悩んでいた学生をフォローアップし始めました。精神的なサポートが必要だった学生に多くの時間を費やしていたたため、彼女は他の方々のお手伝いができませんでした。すぐに会えるからといって、それがメンタリングを始める際の良い選択になるわけではないのです。(ヨハネ2:23-25)
イエス様は、6ヶ月間多くの人々と過ごし、その後12人の弟子を選ぶ前に、一晩いのっていました。(ルカ6:12,13)
私達の誇りとして、才能豊かで魅力的な人を選びたいかもしれません。けれども、本物の弟子として建て上げられるための質を備えてないかもしれません。イスラエルの民は、魅力的な人を王と選び、失敗をしてしまいました。サウル王の代りを選ぶ際、サムエルは主にこう語られました。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようにはみないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」第一サムエル16:7
以下のような人たちにメンタリングをするのが効果的でしょう。
F – AITHFUL 忠実な信仰「テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。しかし、テモテのりっぱな働きぶりは、あなたがたの知っているところです。子が父に仕えるようにして、彼は私といっしょに福音に奉仕して来ました。」ピリピ2:19-22
A – VAILABLE 主に聞く事ができる状況にいる「イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。』彼らはすぐに網を捨てて従った」マタイ4:19,20
A – BLE to teach others 教える事ができる「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」IIてモテ2:2
I – NTER-DEPENDENT 内から満たされている「互いに心から熱く愛し合いなさい。」Iペテロ1:22
T – EACHABLE 学ぶ姿勢を持っている ギリシャ語で「弟子」は、mathetesといい、生徒、学ぶもの、という意味です。「あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい」マタイ11:29
H – EART 心が正しい場所にある「私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。」詩篇84:2
4:本当の問題を取り扱わない失敗
弟子訓練に関して誤った考え方は、御言葉にふれさせれば、相手が自然に成長していく、ということです。前世代の(米国)、聖書的価値観にもとづいて育った人たちにはそれがあてはまるかもしれません。聖書の基礎を学んでも、心に深く根付いた傷や恐れは、無意識のうちに残っているのです。いやしの過程を助けるためには、相手が自由に個人的な悩みや問題をもっていける、恵みにあふれた機会作りが大切です。
本当の問題がわからずに、また解決できずにいては、相手の成長も無駄にまっているだけかもしれません。レイ・ミラーというダイナミックな指導者は、多くの若者たちを救いへと導きました。けれども、彼の心の奥底には、父親からの愛情に飢えていた傷がずっと残っていました。離婚にぶつかり、人生の基盤が崩れたとき、そのような傷にまけて、彼のミニストリーも消えてしまったのです。
20代のころ、霊的成長のためにとても素晴らしい環境が与えられていました。けれども、幼いころに抱えていた問題が解決されていないことに気がついていませんでした。あるカウンセラーの人に、その痛みに向き合い、癒しと解放を受けるようにアドバイスされました。そのようなサポートなしには、問題に向き合うこともしなかったでしょう。
メンターとして、そのような内部にある取り扱うべき問題へ解決を求めるために、二つのステップをお勧めします。
1) よく相手を観察して下さい。思考、そして行動のパターンを探ってみて下さい。何を口にし、何を口にしないでいますか? そのようなパターンは何を意味していますか?
2) 相手によく聞くことを訓練して下さい。効果的なメンターは、優しく恵みにあふれ、メンタリングされる相手が気づかずに、自分の生活を分かち合うことができる場を作っていく事ができます。
「人の心にあるはかりごとは深い水、英知のある人はこれを汲み出す。」箴言20:5
「だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい」ヤコブ1:19
*** これに加えて、相手の心を導くための良い質問をすること、も大切。
5:形式と柔軟性のバランスを保つことへの注意
メンタリングにおける危険性の一つは、流れ作業のように同じものを作ろうとすることです。キリストの弟子つくりは一つの型にはめて大量生産できるわけではなく、困難で時間がかかり、人格形成、訓練、また確信を促していくものです。情報や知識を与えれば人生が変わる、というのは間違った想定で、多くの場合は罪責感が増すだけです。
親が子どもに、価値観や技術、人格において大切なことを教える際、受容性の高い若い時期を大切にします。弟子訓練のプロセスにおいても同じ事が言えます。成熟したキリストの弟子となるために、何を知るべきなのか、どうあるべきなのか、どう行動するべきなのか、と考えてみて下さい。答えを見出せば、そこに生きかたを建て上げるようサポートしてあげてください。
メンターとして、相手に知ってもらいたいことを資料としてまとめたものがあります(神様との深い歩み、神様への信頼、謙遜、聖書的結婚、失われた魂への配慮、等)。会う前に、何を話すのか考えて祈ります。けれども、まず大切なのは、なんでも話せる雰囲気を作ることです。たいていの場合は、私が準備した内容よりも、相手のニーズに応じた形で進められていきます。どのような問題の中でも、絶えず確認することは基本的なことです(デボーションはできているか、御言葉をたくわえているか、聖書を学んでいるかなど)。これらのことは、聖霊によって人生の変化がもたらされるために必要不可欠な訓練なのです。
6:弟子訓練の過程におけるバランスに注意する(イエス様のようなアプローチ、一対一、そしてキリストの体の役割)
*イエス様のモデル
イエス様は12人を選び、成熟した弟子へと導かれました。そして、伝道、弟子訓練へ
世の中へ出て行くようにご命令されました。(マタイ28:18-20、マルコ16:5、ルカ24:47、ヨハネ17:20、20:21)ヨハネの17章は、メンターとて、そして弟子造りをしていくにあたっての大切な真理を語っています。
*一対一のモデル
聖書には、弟子訓練のために一対一で合うようにとは特に書かれていません。ある文化によっては、一対一よりグループでのほうが自然に影響を受けやすいでしょう。けれどパウロは個人的に人々と会っていました(Iテサロニケ2:11)。そしてテモテに、教える力のある忠実な人々に同じように教えていくようにと言いました。(Iテモ2:2)私の経験から、本当にキリストに従っている霊的に成熟した人は、みな何らかの形で個人的に深く影響力をもたらした人がいます。聖書は、男女共に、相手に深く影響をもたらした人たちの素晴らしい例をあげています。
-ダビデとヨナタン王(Iサムエル20、23:15-18、IIサムエル1:16)
-ルツとナオミ (ルツ記)
-エライジャとエリシャ(II列王記2:1-18)
-バルナバとサウル(使徒13:8-15:39)
-パウロとテモテ(IIコリ1:1、使徒16:1-5、17:14,15、18:5、19:22、20:4、21:8、ローマ16:21、Iコリ4:17、16:8、ピリピ1:1など)
*キリストの体としてのモデル
Iコリント12-14章とエペソ4:11-16は、成長のプロセスにおいて、キリストの体の役割が書かれています。
「キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、気リストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。。。。。愛を持って真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」
ポイントは、霊的なリーダーが信者を育てるために働きを行うとき、キリストの体は成長し、成熟に達します。一人一人が自分の役割を果たすとき、オーケストラのように美しい音楽を奏でたり、うまく機能するフットボールのチームが出来上がるのです。
まとめ:キリストの弟子として、これらのミニストリーのスタイルを理解し、バランスを保ってアプローチしていく事が大切です。
7:霊的成長をはかるための正しいものさし
相手が聖書の学びに出席し、御言葉を覚え、デボーションがもてているから霊的に成長していると思いがちです。パリサイ人でも学び、祈り、証していたのです。けれどもイエス様は、彼らを偽善者だと言いました。(マタイ6:5、23:15、23)霊的成長に直結する聖書的なアプローチがあります。「こういうわけで、いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(Iコリント13:13)
信仰:神様のご性質に根ざす。「人の子が来たとき、はたして地上に信仰がみられるでしょうか。信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いて下さる方であることを、信じなければならないのです。」(ルカ18:8、ヘブル11:6)
-あなたが育てているキリストの弟子は、どのような代価を払ってでも御言葉を信じ、生活に適応しようとしていますか? (ヨシュア1:8、マタイ7:24、ヤコブ1:22-25)
-その方は、神様の約束を生活の中で適応していますか?(ヘブル6:12、10:36、11;17,33)
-その方は、欲や恐れに打ち勝つ健全な信仰のパターンを確立してきていますか?(ルカ12:15、第二テモテ1:7、ピリピ4:6,7)
希望:永遠への焦点を維持する。「この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、、、キリストに対するこの望みを抱く者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。」(ヘブル6:19、Iヨハネ3:3)その他、ローマ15:13、Iテモテ4:10、Iペテロ1:21)
-どこに希望を置いているのか見極めて下さい。一時的なものに人生を使っているのか、永遠のものに投資をしているのか。。。見分ける点は、相手がどのように時間、賜物、与えられている物を使っているかです。(ヘブル11:25,26、コロサイ3:1-3、ローマ8:24,25)
-相手が持っている情熱の目的は何ですか? 投資?ゴルフ?あるいは、神様を知り、主の栄光のための使命を全うすることですか?「私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。。。私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」(ピリピ3:7,8、使徒20:24)
愛:イエス様が愛したように愛す。「あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ13:34,35、15:13、Iコリ13、エペソ5:3)
-あなたが育てているキリストの弟子は、自己中心的でなく、ますます愛の奉仕に基づいてキリストの似た者とされてきていますか?
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