「弟子造り」のために、これがベストという一つの方法はないかもしれません。クリスチャンとして成長していくためにどんな状況が与えられているとしても、出たばかりの芽がきちんと育てられていくには、誰かがその芽が育っていくのをサポートし、見届ける必要があるでしょう。
*みなさんも、キリストの弟子が育てられるために、メンターとして誰かの霊的成長がスムーズにいく手助けをしてみませんか?
下記の証では、弟子訓練が主に導かれ、確実に芽が育ち、次の芽を育てていくサイクルができあがっていることが見受けられます。このようなサイクルがさらに成り立っていくと、クリスチャン自身が神様の恵みをさらに体験し、よりすばらしい証人として用いられ、ますます主の栄光が広がるでしょう。
「収穫は多いが、働き手は少ない」という事実も覚えて、みなさんご自身が弟子訓練に関われる形を是非祈ってみて下さい。さらに訓練されたクリスチャンが主によって育てられ、神様の大きな御業を成す働き人が一人でも多く与えられますように。
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霊的成長に関わってもらえる恵み
By Noriko Yarikouchi
私がイエスキリストを個人的な救い主として受け入れ、クリスチャンになったのは、2008年の6月の日本人クリスチャン集会でのことです。迷い子だった私を、神様は憐れんでくださり、私に信仰を与えてくださいました。それから教会も与えられ、その年のクリスマスには洗礼を受ける恵みにも与りました。
私には教会だけでなく、個人的に霊的成長に関わってくれる兄弟姉妹が与えられた恵みを今日はお話したいと思います。特に、今セカンドレベルのスタッフにメンターとして、定期的に信仰状況を確認してもらえることから多くの恵みをもらっています。
最初キリスト教について本当に何もしらなかった私ですが、一週間に一度会って、キリスト教の基本的な学びをはじめる機会を与えられました。聖書を開いたり、食前の祈り、また一対一で誰かと祈るというような経験も初めてでした。また信仰についての様々な疑問や悩みをぶつける機会も与えられました。そのように私の信仰生活のスタートは順調に守られていったと思います。
そこで転機が訪れました。
2ヶ月程、彼女と会わない期間がありました。私としては、神様から離れていたつもりではなかったのですが、後から考えると自分が霊的に停滞していたことに気付かされました。そういった経験から、私が今気付かされているのは、私と神様の個人的な関係であるにも関わらず、第三者との関係が欠かせないということです。
第三者との関係から、信仰が正され、試され、強められるということです。
最初私は、私と神様との個人的な関係なのだから、その間で築いていける、またはそうするべきだとも思っていました。しかし、神様から目を離しているつもりはないのに、どういうわけか上手く関係が築いていけない。むしろ、第三者に自分と神様との関係を打ち明けることで、または疑問をぶつけることで、なぜか神様との関係が正される経験を何度もしました。神様は、「私と神様との間だけで、関係を築くことを望まれているわけではない」のではないかと思っています。
他にも、同じ教会に行っていた友達にも色々な質問をしては、真剣に答えてもらえ、たくさんの励ましを得ました。教会の人たちからも祈りサポートされ、クリスチャンの集会に来ては霊を強められました。そのように私には信仰を励まし、支えてもらえる、たくさんの兄弟姉妹があり、環境があり、霊的に成長できる恵みがあることをとても感謝しています。
そして、今私は自分がたくさん祈られ励まされてきた、また現在されているように、今度は私自身が兄弟姉妹を、または神様を求めている人を、励ます場所に神様は立たせてくださっています。最初、「クリスチャンになって一年もたってない私が、私よりも信仰生活の長い人を励ますなんて。。。」と消極的に思っていました。でも、「神様は私を、その人の隣においてくれた」と言われた時にハッとさせられました。「今私の隣にいる人を私が励まさなかったら、誰が励ますのだろうか?」ということです。私は「自分がやらなくても誰かがその人を励ますことを期待していたのではなかったろうか」と思わされました。これこそが神様の戒めであり、恵みである、「互いに愛し合うこと」なのではないかと思っています。
最後に御言葉をもって、この証を終わりたいと思います。
ヨハネの福音書13:34-35
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
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