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個人的な働きかけから「増殖」へ

キリストの弟子の「増殖」

私たちクリスチャンは、自分自身がキリストの弟子として成長することを目指し、次の「弟子」を育て、その弟子達が「弟子育成者」となっていくことを目指すべきです。それは「次世代を育てることができる弟子造り」です。実際、弟子造りを始めることができても、次の世代へ伝達していくことは、多くの教会の中で困難をかかえています。創造の始めから、神の人への目的は「生めよ。ふえよ。地を満たせ。」(創世記1章27節)とあるように増殖していくことでした。ここでの「ふえよ」とは、単なる足し算のような増加の言葉を意味するのではなく、かけ算である「倍増」「増殖」を意味しています。アブラハムに契約が与えられたときも、モーセにイスラエルの民への約束が与えられたときも、イエス様が大宣教命令を命じられたときも、救いの祝福が増殖していくことを神が願われていたことがわかります。そして、最後の書簡、黙示録では、「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大勢の群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と子羊との前に立っていた。」(7章9節)と書かれている程、将来、神を慕う者達の数は何倍にも増えていることもわかります。信仰による神の民が増え、主の栄光がほめたたたえられることは、創造の始めから終わりまで、神のご計画にあることが聖書から明らかです。

 霊的増殖についての著者、ボブ·マックナブは、大宣教命令についてこのように語っています。「イエス様が天に昇られたとき、弟子を一緒に連れていくことはされませんでした。その代わりに、弟子達に使命を託されました。「あらゆる国の人々を弟子としなさい。」という使命です。救われたあなたにも、私にも同じ使命が与えられています。私たちクリスチャンは、弟子を生み出し、さらに増殖していくために、新しく生まれ変えられたのです。罪から贖われたことにとどまりません。神の働きに加わり、最も意味深い目的のために生きることができるのです。」

·常に意識づけること

 弟子造りの増殖が起こるために特に必要なことの一つは、キリストの弟子を育てる段階において、霊的成長の大切さを伝えると共に、他の誰かを育てることの大切さを常に伝えて行くことです。クリスチャンになりたての頃は難しいと感じていても、いつかは自分もキリストの弟子を育てるのだ、という意識を早くから持ってもらうのです。

 「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」(第二テモテ2章2節)この箇所から、四世代にわたる弟子がいる(べき)ことがわかります。「私(手紙の著者、パウロ)」、「テモテ(手紙の受取人)」、「教える力のある忠実な人(テモテが影響を及ぼす人)」、そして「(忠実な人が教える)他の人」です。パウロに神の事を伝えたバルナバを含むなら5世代の弟子作りがここで述べられています。パウロは、イエス·キリストを知る恵みを自分だけでとどめることなく「無駄にはせず」(ガラテヤ2章21節、第二コリント6章1節、第一コリント15章10節)、次の人へバトンを渡していったのです。そしてバトンを渡す際、その相手が将来影響を及ぼす人々をすでに考慮に入れていました。その将来の期待さえも、自分自身がバトンを渡す人に伝えながら弟子訓練していたのです。イエス様もそのように弟子達と関わっていたことを、後の章でみていきます。誰でも、自分が持った人との関わり方はそのまま受け継がれて行くのです。神が望んでおられるこの素晴らしいバトンタッチの原則を、信仰の継承において私たちはみな実践していくべきです。それは私たちに与えられている責任でもあるのです。それは、マタイ5章14−29節にある、預けられたタラントをどのように用いるかという話をみても明らかです。

·シンプルであること

もう一つの見逃してはならない点は、シンプルであることです。複雑なプログラムやトレーニングコースを踏まないといけないならば、それを実行できない場合すぐに挫折してしまいます。次の誰かに引き渡すことも困難です。キリストの弟子が増殖されるために、その過程はシンプルであるべきです。特に信仰の基礎作りの段階では、テキストを使うのなば、シンプルな構成のものを選びましょう。シンプルであればあるほど、受け取ったものを次の人へと伝達していくことがスムーズに行われます。教えられた人は、自分が体験したことを同じようにして次の人を教えていくべきです。これらのことを見据えてキリストの弟子造りに関わりましょう。

·救いの中に生きる模範となること

キリストの弟子になるということは、ただ信じるだけではなく、救いの中に生きることです。主イエスの、恵みと知識によって強められていることです(第二ペテロ3章18節)。完璧になることではありません。主なるキリスト従順であることが大切なのです。良い模範となるためには、私たちの生活の中でみことばの真理が実践されている必要があります。それは、習慣づけられたキリストの歩みの中でおこります。キリストの弟子を育てるためには、自分自身がそのようなキリストの弟子でなければなりません。模範となるのです。本物の信仰は行ないが伴うべきだからです。従順さを促すために、何も複雑である必要は全くありません。キリストにつながっていることの大切さを絶えず、思い出しましょう(ヨハネ15章5節)。キリストがあなたのために完全な模範であるように、また、パウロがテモテにとっての良い模範であったように、あなたも周りの人々の模範となっていきましょう。良い模範を示すことは、キリストの弟子を倍増していくために大切な鍵です。

·祝福の継承

信仰の父と呼ばれるアブラハムへの祝福の約束は、あなたへの祝福の約束でもあります。(ガラテヤ3章7−8節)「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。あなたの子孫はこのようになる。」(創世記15章5節)。アブラハムに主が祝福をご用意された時、それはアブラハムのみでとどまるものではなく、千代にまで及ぶものとして与えられたのです(創世記12章1−3節)。また、自分の尊い子、イサクを信仰によって主に捧げた後、再度主は約束を下さいました。「あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。」(創世記22章16−17節)ここでの「数多く増し加える」という言葉は、「倍増」意味する言葉です。主に忠実な者には、このような素晴らしい約束が実現していくのです。永遠の彼方から変わらない主なる神は、あなたにもこのように働かれます。

イエス様は、一番大切な戒めは、神を愛し、人を愛すことだと言われました(マルコ12章30−31節)。「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛」することです。私たちのすべてをもって神を愛そうとするなら、神が願われていることを知り、その願いを私たち自身のものとし、私たち自身の願いとしても追い求めていくべきではないでしょうか。「隣人を愛せよ」が、神を愛することに続くなら、隣人が神を知り、体験し、神の願いを共に追求する者へと変えられていくことを促すべきではないでしょうか。

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」(第一ヨハネ5章14−15節)

私たち自身がキリストの弟子となり、キリストのように変えられていくことは、神のみこころです。私たちがさらなるキリストの弟子を育成していくことは、神のみこころです。私たちが、主への愛、そして人々への愛ゆえに、キリストの弟子が増殖していくために働きかけていくことは、神のみこころです。そのような神のみこころの中に生き、御国が建設されるために、あなたも主の弟子が育てられ続けていく働きに加わりましょう。

「神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。」(第二テモテへの手紙 1章9節)

 すべての人が救われることを願っておられる神(第一テモテ2章4節)は、救われた者達が福音を伝えていくことを望んでおられます(ローマ10章14-15節)。そして新しく出た芽がきちんと育てられ、次の実りを再生産していくことを望んでおられます(コロサイ1章28−29節)。聖書の中に出てくる登場人物は特別でも、自分には伝道や弟子造りの働きに携わるのは無理だと思われる方々もいるでしょう。けれども、神から私たちへの愛がどれほどのものか(ローマ8章37−39節)、救いの豊かさがどれほどのものか(ローマ11章33-36節、エペソ1章7-11節)、私たちの人生、また私たちの人生の中で関わるすべての人へのご計画がどれほどのものか思いめぐらすならば、自分の無力さや足りない体験に目をとめて「自分にはできない」と思う事自体が罪だと悟らされます。あなたの小ささではなく神の偉大さに目をとめましょう。神があなたに持つ価値を感謝して受け取りましょう。神のあなたへの救いのご計画を過小評価しないようにしましょう。神があなたを通して成そうとしておられることに目を向けましょう。神があなたの霊的な子孫を増し加えようとしておられる働きに信頼しましょう。「信仰がなくては、神に喜ばれる事はできません。」(ヘブル11章6節)神を求める者には報いて下さる方であることを信じなければいけません。神は、普通の人を、神の御手によって偉大な形で用いられるのです。 

 神とアブラムの一つの対話をみてみましょう。

「『さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。。』さらに仰せられた。『あなたの子孫はこのようになる。』彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(創世記15章5−6節)

神ご自身があなたなの内に働かれ、神ご自身が実りをもたらしてくださいます。私たち自身がキリストの弟子として育っていくこと、そして、キリストの弟子を育てることへの使命ある旅において、これからあなたがするべきことを祈り求めていきましょう。

ポール真弓(セカンドレベル・ミニストリー総主事)

個人的な関係、また聖書的な共同体・教会形成に重荷を持つ。その過程において、メンタリングは鍵となると信じ、日々主の働きに従事。