試練の意味
第一ペテロ1:7
信仰の試練は、火を通して精錬されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエスキリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。
クリスチャンになったからといって、問題や試練がなくなるわけではありません。でも神様と共に歩む人生には、困難を正しく扱い、また成長の機会として用いる事ができるように、その試練に耐える力が与えられます。
人間関係の中で、職場で、学校で、病気、罪との戦い、または生活の中でのささいなトラブルなど、いろいろな試練や苦しみがあるでしょう。神様はあなたが歩むそのひとつひとつの過程で共におられ、乗り越える力を与えて下さいます。そして、神様はあなたの人生の中で、試練についても目的を持っておられます。
試練には、以下のような意味があると考えられます。
1:神様の子どもとして成長する。
私たちは、周りの環境、友人、または自分によく頼りがちになります。自分の力で乗り越え、自分自身で自分を救おうとしても、自分の力で変えられない事を多く経験します。あなたの人生の中での試練を神様が働く機会として用いて頂きましょう。
神様は愛のお方ですから、あなたが耐えられる事のできないような試練には遭わせないとおっしゃっています。むしろ、脱出の道を備えて下さっています。(第一コリント10:13)又、
助けと守りを与えて下さいます。(詩篇121)
- 神様の計画に信頼しましょう(ローマ書8:28、箴言3:5−6)。
- 御心を祈り求めましょう (エレミヤ29:11−13) 。
- 問題を神様にゆだねましょう(詩篇37:5、第一ペテロ5:7)。
試練の中で、これらの御言葉を実践していく事によって、神様の子どもとして成長していきます。キリストと共に歩む事を経験していきましょう。
2:悔い改めて、神様のもとへ立ち返る。
私たちには、すべての試練がどうして起こるのかを理解できません。しかし、そこに大いなる神様の計画があります。そのすべてを理解できなくても、試練に遭った時、どのような態度で立ち向かうかに焦点をあてて歩んで行きましょう。
一つの試練の理由は、神様からの懲らしめです。神様から離れ罪深い生活を続けていると、 あなたを神様のもとへと戻すため、懲らしめという方法で試練を用いる時もあります。
ヘブル12:7
訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
−5、6節も参照
神は愛である事を忘れないで下さい。神様はあなたへの最善をいつも願っておられます。
ヘブル12:11
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
試練に対する問題解決が必要な時、神様から離れた状態では、みこころが示され、知る事は難しいです。何かの試練の中にいる時、その試練が懲らしめなのか、訓練のための困難なのかはわかりませんが、どんな困難な中にあっても、いつも神様との交わりを第一にしていくことは大切です。(第一ヨハネ1:9)
3:キリストに似た者へと変えられる。
「イエス様のように変えられるため」に試練は用いられます。イエス様のようになるとは、愛の人になり(神様を愛し、人を愛す)、神様のみこころに従い、また御霊の実を結ぶ人格が整えられる事です。これは生涯を通してなされていく事で、あなたがキリストに似た者となっていく過程の中で、神様は試練を用いられます。
ピリピ1:29
「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」
キリストの苦しみをあなたが少しでも体験するなら、その中においてこそ、キリストからの慰め、平安、喜びなどを本当の意味で味わう事ができます。キリストご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みを受けている者たちを助ける事ができます(ヘブル2:18)。キリストに似た者にますます変えられていく機会としてとらえましょう。
ステップ15 キリストのように変えられる 参照
4:神様に栄光をお返しする。
試練を通して、あなたが神様の子どもとして成長し、神様に近づけられ、ますますキリストのように変えられるなら、その姿自体で神様の栄光が現わされる場合がたくさんあるでしょう。神様の子どもとしてのあなたの姿、それに加え、試練への解決が神様に栄光を帰す事になる場合がよくあります
1− 苦しみへの癒し、問題解決
ヨハネの9章には、生まれつき盲人だった人の例があります。だれも罪を犯したわけではありませんでしたが、「神のわざがあらわれるため」にその人は盲人だったのです。信仰をもって神に問題をゆだねると、かれは目がみえるようになったのです。
このように実際にいやされる、という神の業、又はその人が信仰をもって神に問題をゆだね希望に満ちている姿は、神様の栄光や素晴らしさを示す事になります。だからこそ、祈って問題をゆだねることも必要です。
2− 用いられる者へ!
試練に合って苦しみを味わった人にこそ、他の人の苦しみや悩みも共感できるものです。クリスチャンとして、愛に溢れているイエス様のようになるには、周りの人を愛し、理解し、励まし、慰めを与える事が必要です。
第二コリント1:4
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰める事ができるのです。
人の気持ちがわかる、愛に満ちたクリスチャンとして、神様に用いてもらいましょう。試練を通して学んだ事が、きっと神様の栄光をあらわされるように用いられるでしょう。
<< まとめのことば >>
クリスチャンの試練や苦しみには、意味と目的があります。ですから、ただ苦しいだけでおわることがなく、希望があるのです。キリストにある希望こそ、真の生きて行く力となります。試練を神様が働く機会として受け止めましょう。信仰を持って立ち向かいましょう。偉大な計画を持っている神様が知らない所で起こっていることは何ひとつないのです。
又、イエス様ご自身も試みにあわれたために、あなたの苦しみも悲しみもすべて理解して下さっています。今もあなたのことを覚え、とりなして下さっています。「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けをうけるために、大胆に恵みの御座に近づく」ことがゆるされているのです。
ローマ書5:3−5
そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、 患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望におわることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
***イエス様、苦しい時も、いつもあなたが私と共にいて下さりありがとうございます。
どうぞ私にも試練に耐える力を与えて下さい。この試練を通して、あなたが私に学ばせようとしておられることを悟り、あなたが持っていて下さるご計画に希望を持つ事ができますように。アーメン。
証し